音楽界におけるアマチュアリズムの重要性

アマチュアリズム 音楽と生活

アマチュアリズム(英: amateurism)とは、「スポーツをするものは、アマチュアでなくてはならない」という主張、あるいは「スポーツはアマチュア精神に従ってするのがよい」という考え方の主張である

これは、Wikipedia の「アマチュアリズム」についての記述です。

講師は全員プロのゴスペル・シンガー!・・・「は?」

僕は関西で30年以上、音楽活動をさせてもらっています。それこそ10年ほど前までは「自分はプロのシンガーであり、プロのヴォーカル講師だ!」と声高らかにウェブサイトに書いていました。

でもある頃から「プロってなんやろ?そんなに大切な事か??」って思うようになりました。それよりも何よりも、自分が「プロの歌い手」とはどう考えても思えなくなってしまいました。

今も某ゴスペル教室には「講師は全員プロのゴスペル・シンガー!!」ってどや顔で書いてますけど、絶対に違うと思います。そもそもゴスペル・シンガーのプロってなんやねん・・と。僕の目から見たら僕と同様全員アマチュアでいいと思います。

まあ日本にも何人かはいます。その人はバリバリにライブもやってはるし、シンガーとしての顔が一番しっくりくるから「まあ・・ええかな」と思います。でもその人も、プロの「ゴスペル・シンガー」かどうかとなると、やはり悩むところです。

アマチュアであるべきちゃうんかな?

僕の教室に来る生徒さんたちはほぼ100%アマチュアです。たまに「プロになりたい」ということを口にされる方もおられますが、そういう方には他所を探してもらいます。

アマチュアの方が「音楽」を楽しみたいと思って習いに来るのだから、教える講師もアマチュアリズムを持ってるべきだと最近は心から思っています。

関西のミュージシャンは、自分の立ち位置に自信が無いからか、やたらと「僕たちのようなプロはこう考える」とか肩ひじ張った物言いをする傾向がありますけど、音楽をやったことがない人に音楽を好きになってもらおうと思ったら、そんな意味不明ですぐメッキがはがれるようなマウントは取らない方がいい。それより、自分が初めて音楽に感動した時の話を同じアマチュアとしてするべきだと思います。

ただの物真似であることを認めましょう

僕は自分も歌を歌うし、講師と言うお仕事もさせてもらってますけど、それと同時にかなりの音楽オタクです。そのオタクとしての見方で言えば、関西でソウルやファンクやゴスペルやジャズなどの黒人音楽をやっているミュージシャンのほとんどが、それっぽい物真似です。

ジャズ系の人などは特にやたらとあっち側からモノを言いがちですけど単なる物真似です。音楽オタクの僕が自分の耳で聴いてそう感じます。

でもね・・・・

僕は物真似とかカヴァーとかが上手い人は大好きなんです。だから否定をしているつもりはありません。特に歌に関しては本物みたいに上手く真似る人は心から尊敬できます。でも、自分は本物だと振舞ってる人には心から冷めます。

物真似であることを認めましょう!!そして「本物に憧れながら真似をするアマチュアの先輩」としてレクチャーしたらいいじゃないですか。

もう生徒さんの前で、プロの振りをするのはやめましょう!音楽は未経験者であっても、生徒さんのほとんどが社会人としては様々な経験をされているし、それなりの修羅場もくぐってこられています。あなたの「虚勢」はバレていないのではなくて、それも含めて愛されているだけだと思います。

同じアマチュアとして、同じ目線で音楽を愛することを楽しみましょう。

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